引き出しの束

イリノイ州シカゴ。十一月の朝、ケビン・ベネットは父ハロルドの書斎を片付けていた。七十九歳で先月静かに逝ったハロルドの遺品整理の途中、机の一番下の引き出しを開けると、輪ゴムで束ねられた紙の束が現れた。手紙かと思ったが、そうではなかった。宝くじのチケットだった。大量の、しかも全て当選済みのチケットが、誰にも気づかれることなく眠っていた。一枚を手に取り金額を確認すると、五百ドル。次は二百ドル、その次はなんと五万ドル。ケビンは声を失い、長い間その場に立ち尽くした。
換金されていない

ケビンはチケットを机の上に全て広げ、一枚一枚の金額を足し合わせていった。百枚以上のチケットは総額三十万ドルを超えていたが、どれ一枚として換金の印がなく、全て有効期限を過ぎていた。「なぜ換金しなかったんだ……」と呟きながら震える手で束を握りしめると、隣に来た妻のサラが「お父さん、お金には困っていなかったはずよ」と静かに言った。それはそうだ。しかし、金に困っていなかったとしても、なぜ三十万ドルもの当選金を、三十年間にわたって意図的に見捨て続けたのか。その問いに、ケビンはまだ答えられなかった。
番号の共通点

ケビンはチケットを一枚一枚丁寧に確認し、当選番号を書き留めていった。するとすぐに、同じ数字が繰り返されていることに気づいた。「07-23」「03-14」「11-07」——何かが引っかかり、しばらく考えて思い当たった。07-23は七月二十三日、母ヘレンの誕生日だ。03-14は三月十四日、両親の結婚記念日だ。そして11-07、十一月七日は、母ヘレンが亡くなった日だった。手が止まった。百枚以上のチケット全てに、ヘレンの日付が刻まれていた。これは偶然ではなく、父が意図的に選び続けた番号だったのでしょうか。
食堂の出会い

1968年の春、ハロルドはシカゴの工場で働く二十三歳だった。昼休みになると工場近くの食堂へ足を運び、同じ時間に同じ席でランチを食べることが習慣になっていた。その食堂のウェイトレスがヘレンで、彼女はいつもハロルドを一番窓に近いテーブルへ案内した。「どうして分かったんだ?」と聞くと、「いつも首をそっちに向けていたから」とヘレンはさらりと答えた。その一言で、ハロルドはこの人のそばにいたいと思った。それからは毎日、ランチのためだけではなく、ヘレンに会うために食堂へ通い続けた。
三月十四日

二年の交際を経て、1970年の三月十四日に二人は結婚した。日付を決めたのはヘレンで、「語呂がいいから」と言ったが、ハロルドが「本当は?」と重ねて聞くと、「春の初めにしたかった」と少し照れながら答えた。式は小さく、ヘレンが自分で焼いたケーキはやや傾いていたが、甘かった。それからハロルドは四十二年間、三月十四日には必ずヘレンに花を贈り続けた。贈るたびにヘレンは嬉しそうにしたが、それが当たり前になっても、ハロルドにとってその日は特別なままだった。
息子の誕生

結婚の翌年に息子ケビンが生まれると、ハロルドは工場の仕事を続けながら夜学に通い始めた。ヘレンは「今の仕事だって立派よ」と言い続けたが、ハロルドは三年かけて会計士の資格を取り、事務所に勤め始めた。「やると言ったら絶対やる人ね」と笑うヘレンに、「お前に見せたかった」とハロルドは答えた。その言葉を、ヘレンは何年経っても口にした。「あなたに言ってもらった言葉の中で、一番好きよ」と。二人の間には、積み重なった言葉の歴史があった。
最初の一枚

1985年、ハロルドは職場の同僚に誘われ、初めて宝くじを一枚だけ買った。結果は外れで、それだけのことだったはずだった。しかし帰り道、売り場のショーウィンドウに並ぶ数字を何気なく眺めていると、「七月二十三日——ヘレンの誕生日だな」と頭に浮かんだ。引き返してその番号で一枚買うと、小さな額だったが当たった。偶然の一致だったのかもしれない。しかしその瞬間から、宝くじはハロルドにとって、単なる賭けではなくなった。
最初の報告

当たった五百ドルのチケットを夕食の席でヘレンに見せ、「お前の誕生日で当てた」と報告すると、ヘレンは笑いながら「じゃあ当たるまでその番号で買い続けたら?」と冗談を言った。「いいな」と答えるハロルドに、「本気にしないでよ」とヘレンは笑い返したが、ハロルドは笑わなかった。翌週から、ヘレンの誕生日と結婚記念日の番号で毎週買い始めた。そのことを、ヘレンはどこまで知っていたのでしょうか。
四十年の習慣

それからハロルドは毎週欠かさず、同じ売り場に同じ番号で通い続けた。顔なじみの店員に「また来たね」と言われるようになり、ヘレンの番号と記念日の番号を組み合わせた四、五枚のチケットを買うことが習慣になった。当たった週は夕食の席でヘレンに報告し、「今週は三百ドル当たったぞ」と言うたびにヘレンは「換金してきた?」と確かめた。「もちろん」とハロルドは答えた。それは本当だった。ヘレンが生きていたあの日までは、ずっと本当だった。
ヘレンの病気

2001年の春、ヘレンが体の異変を訴え、検査の結果、乳がんの告知が届いた。その日、ハロルドは何も言えないまま病院の廊下でヘレンの手を握り続けた。ヘレンも黙っていた。しばらくして静寂を破ったのはヘレンで、「続けてね、宝くじ」と言った。「私の番号で当たったら、教えてよ」という言葉は穏やかだったが、その重さを、ハロルドはどこまで受け止めていたのでしょうか。