スーツケースの中身

オレゴン州ポートランド。十月の夜、トム・ギャレットは義理の母の見舞いから帰ってきた妻リンダのスーツケースを、玄関から運んだ。リンダはシャワーを浴びていたため、荷物を整理してやろうとスーツケースを開けた。洋服の下に何かが触れ、取り出してみると、古い茶色の革靴だった。明らかにトムのものではなく、サイズを確認すると二十四センチ。トムは二十七センチだ。見知らぬ靴が、妻の荷物の中にあった。これは一体誰の靴なのでしょうか?
サイズの違い

トムは靴を明かりの下で丁寧に調べた。古い革靴ではあるが、丁寧に磨かれていて左右がそろっている。靴底はかなり減っており、長年にわたって大切に履かれてきたことが分かった。ブランドは古いアメリカのメーカーで、ソールに油性ペンで小さく「H.W」とだけ書かれていた。イニシャルだろうとトムは思い、その二文字を何度か口の中で繰り返した。自分の知っている人間の中に、H.Wという人物は一人もいない。リンダの周りに、そんな人物がいたのでしょうか。
妻の反応

シャワーから出てきたリンダは、トムが靴を手に持っているのを見て、玄関口で足を止めた。「これ、誰の靴だ。スーツケースに入ってたが、俺のじゃない」とトムが言うと、リンダは少し口を開けたまま、何も言わなかった。怒るでも否定するでもなく、突然涙をこぼしたリンダを前に、トムは戸惑った。「説明してくれ」と言っても、リンダは首を振り「今は言えない」とだけ繰り返した。「今は言えない」というリンダの言葉には、いつかは話すという意味が含まれていたのでしょうか。
ぎこちない夜

その夜、二人はほとんど話さなかった。リンダは靴を持ったまま寝室に入り、トムはリビングのソファに座り続けた。義母の見舞いで三日間ユージーンに行っていたはずのリンダが、靴を持って帰ってきた。その事実が頭の中をぐるぐると回った。翌朝、コーヒーを飲みながら向かい合っても、いつものような他愛ない会話は出てこなかった。リンダはどこかぼんやりした目でカップを見つめており、トムには声をかけることができなかった。
思い出す月一の外出

数日後、トムはあることを思い出した。リンダは毎月第二土曜日に、一人で外出していた。「友達とランチ」と言っていたが、よく考えると、その友達の名前をトムは一度も聞いたことがなかった。どこへ行くかも、何時に帰るかも、あえて聞こうとしなかった。十年間の結婚生活で当たり前になっていた妻の外出を、今になって振り返ると、自分は何も知らなかったと気づく。本当に友達とランチをしていたのか、トムにはもう確かめようがなかった。
妻の友人に連絡

トムはリンダの大学時代からの親友ジョイに連絡を取った。「毎月第二土曜日に、リンダとランチしたことある?」と聞くと、ジョイは少し間を置いてから「そんなに定期的には会ってないけど」と答えた。「月に一度くらい、一人で出かけてるんだが」と続けると、ジョイは「どこへ?」と聞き返してきた。ジョイも知らなかった。リンダの行き先を把握している人間が、周囲には誰もいなかった。では、リンダは毎月どこへ行っていたのでしょうか。
靴を調べる

トムは改めて靴を手に取り、隅々まで見た。ソールの「H.W」というイニシャル。古いアメリカ製のブランド。デザインや作りを見ると、六十年代か七十年代に作られたものではないかと思われた。つまり、現役世代が日常的に履くような靴ではない。かなりの高齢者のものではないか。そう思うと、若い男性を想像していた自分の中で、話の輪郭が少し変わった。ただ、老人の靴であったとしても、なぜそれが妻のスーツケースに入っていたのか、謎は何も解けていなかった。
ユージーンへの問い合わせ

トムは義母に電話した。「リンダが三日間、会いに行っていたと聞きましたが、元気でしたか」と聞くと、義母は「三日間?来たのは最初の一日だけよ。残りの二日はどこにいたの?」と言った。返事ができないトムに、義母は心配そうな声で「何かあったの?」と聞いた。「聞き間違いだったかもしれません」とだけ答えて電話を切ったが、三日間のうち二日間の行き先が、完全に空白になった。リンダはその二日間、どこにいたのでしょうか。
ボランティアセンターの名刺

トムは書斎の引き出しを開け、リンダの使っていた古い手帳をめくった。あるページに一枚の名刺が挟まっていた。「ポートランド高齢者支援ボランティアセンター」と書かれており、裏には小さなリンダの手書きのメモがあった。「H・ウォーカー、第二土曜日」。H・ウォーカー——あの靴のイニシャル「H.W」と一致する。ボランティアセンター、老人、月一の外出、そしてスーツケースの中の革靴。散らばっていた点が、ゆっくりと線でつながり始めた。
センターへの電話

翌日、トムはボランティアセンターに電話した。「ハーバート・ウォーカーさんへの訪問ボランティアをしている妻がいて、先日亡くなられたと聞きましたが」と言った。実際にはまだ確認していなかったが、そう切り出してみた。電話口の担当者は少し間を置いてから「ウォーカーさんは先月お亡くなりになりました。ご家族の方ですか」と静かに答えた。「いえ、ボランティアの妻の夫です」とトムは言い、担当者は「一度ご連絡いただけますか」と続けた。トムはその言葉を聞きながら、十一年間、妻がひそかに通い続けていた場所があったとして、なぜトムはそれを一度も感じ取れなかったのでしょうか。