8歳の絵――70年後、それはニューヨークの美術館の壁に掛かっていた

1. 美術館の廊下

2014年の秋、ニューヨーク州ロングアイランドのハンティントン美術館。七十八歳のドロシー・ハーパーは娘のスーザンに連れられて展示室を歩いていた。戦後アメリカ市民の記録というテーマの小さな企画展だった。ドロシーは足が悪く、展示の大半は流して見ていた。しかし三番目の展示室に入った瞬間、彼女の足が止まった。壁の一枚の絵の前で、ドロシーは動けなくなった。青い海と白い浜、赤い傘を差した女性の後ろ姿。その絵を、ドロシーは七十年前に自分が描いたことを知っていたのでしょうか。

2. 震える手

娘のスーザンが気づいた。「お母さん、どうしたの?」。ドロシーは答えなかった。ただ絵の前に立ち、ガラスケースに入った小さな水彩画を凝視していた。縦二十センチ、横三十センチほどの小さな絵だった。青い絵の具が薄く、子どもの筆使いが見える。「この絵……」とドロシーは呟いた。スーザンは母の顔を見た。青ざめていた。「お母さん?大丈夫?」。ドロシーは絵のそばにある解説パネルに目を向けた。そこに書かれた文字を、彼女は信じることができたのでしょうか。

3. 解説パネルの謎

解説パネルにはこう書かれていた。「無名の子どもによる作品、1944年頃、オハイオ州、個人コレクション」。ドロシーは膝が震えた。オハイオ州。1944年。それは間違いなく、自分が疎開していた年と場所だった。スーザンが学芸員を呼びに行った。ドロシーは絵のすぐそばに立ち、左下の隅を見た。薄くなった鉛筆の文字が残っていた。ガラス越しでも、その文字はわかった。自分の字だった。七十年前、八歳の自分が書いた名前が、そこにあるのでしょうか。

4. 1944年の夏

七十年前、ドロシーはオハイオ州シンシナティに住んでいた。父親が軍需工場に勤め、母と三人で暮らしていた。家の近くに小さな川が流れており、夏には魚が捕れた。ドロシーは絵を描くのが好きな子どもだった。学校に持っていくはずの水彩絵の具を、しょっちゅう自分の絵に使った。母によく叱られた。それでも止めなかった。八歳の夏、ドロシーは一番好きな絵を描いた。祖母の家の近くにあった海辺の風景だった。赤い傘を差す祖母の姿を、その絵に描き込んだ。

5. 赤い傘の祖母

ドロシーの祖母エドナは、いつも赤い傘を持ち歩いていた。日傘として夏も冬も持つ。「目立つから好きなの」と祖母は言った。バージニア州の海辺に遊びに行ったとき、ドロシーは祖母の後ろ姿を鉛筆でスケッチした。家に帰ってから水彩で仕上げた。青い海と緑の松林と、遠くに見える白い灯台。そして真ん中に、赤い傘の後ろ姿。ドロシーはその絵を、宝物として机の引き出しに入れておいた。まさかその絵が、七十年後にニューヨークの美術館に掛かっているとは、思いもしなかった。

6. 疎開の朝

1944年の秋、父から「しばらく田舎の親戚の家へ行きなさい」と言われた。ドロシーは焦って引き出しの絵を取り出し、画用紙で包んで鞄に入れた。翌朝、荷物を積んで出発した。途中の宿で一泊し、翌朝また移動した。そのとき気づいた。鞄が違う。荷物の積み直しのとき、鞄を取り違えてしまっていた。絵の入った鞄は、もうなかった。「絵がない!」とドロシーは叫んだ。母は「また描けばいい」と言ったが、あの絵はもう描けないと、ドロシーにはわかっていたのでしょうか。

7. 帰還の後

終戦後、家族はシンシナティに戻った。ドロシーは絵を探したが、当然見つからなかった。宿の人に問い合わせても、心当たりはないと言われた。ドロシーは諦めた。それ以来、絵を描くことをしばらくやめた。「あの絵より好きな絵が描けそうにない」と思ったから。十代になり、やがて大人になり、結婚し、子どもを産み、孫ができた。その長い月日の間、ドロシーはあの絵のことを時折思い出した。赤い傘の祖母エドナは、終戦を待たずに亡くなっていた。

8. 学芸員の登場

スーザンが連れてきた学芸員は、エドワード・コリンズという五十歳の男性だった。「どうされましたか?」と丁寧に聞いてきた。ドロシーはゆっくり話した。「七十年前、私が描いた絵かもしれません」。エドワードは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに落ち着いた表情に戻った。「よろしければ、もう少し詳しく教えていただけますか?」。ドロシーは署名のことを伝えた。エドワードはメモを取り始めた。そして言った。「実はこの絵には、来歴があります」。その来歴とは、どんなものなのでしょうか。

9. 個人コレクション

エドワードによると、その絵は二年前に美術館に寄贈されたという。寄贈者はニュージャージー州の老婦人、マーガレット・コリンズ。エドワードは照れくさそうに言った。「実は私の祖母です」。祖母のマーガレットは、夫のジャック・ソーントンが大切にしていたコレクションを、死後に美術館に寄贈した。そのコレクションの中に、この水彩画が含まれていた。ジャックは第二次大戦中にオハイオへ赴任した元陸軍兵士だった。エドワードはゆっくりと続けた。「祖父は、この絵をオハイオで見つけたと話していたそうです」。

10. ジャックの話

エドワードは祖母のマーガレットから聞いた話を語った。祖父のジャックは戦時中、疎開した家族が引き上げた後の宿に宿泊したことがあった。宿の主人が「子どもが忘れていった荷物がある」と見せてきたものの中に、包まれた水彩画があった。ジャックは「持ち主を探してあげたい」と思い、持ち帰った。しかし戦後の混乱の中で、探すことができなかった。「祖父はずっと後悔していたそうです。いつか持ち主が現れることを信じて大切にしていたと」。その絵が七十年後に持ち主のもとに戻る日が来ると、ジャックは信じていたのでしょうか。

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